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包丁の街 堺


日本一の貿易都市として名乗りをあげた堺
堺ゆかりの人々

堺は歴史上の有名人

行基(ぎょうき)

奈良時代の名僧。諸国を巡り、民衆の立場から社会事業に尽し、奈良の大仏建立の功績により大僧正となりました。

今井宗久(いまい そうきゅう)

屋号は納屋。織田信長と結びつき、信長の勢いとともに堺の代表的な商人となりました。
茶人としても有名です。臨江寺に今井家の墓があります。

小西行長(こにし ゆきなが)

薬種商小西家出身の戦国大名。熱心なキリスト教徒で、天正16年(1588)には肥後宇土城主になりました。
関ヶ原の戦いで敗れ、斬首されました。

与謝野晶子(よさの あきこ)

明星派の中心的歌人。明治33年(1900)、与謝野鉄幹の新詩社の同人となり「みだれ髪」を刊行。
鉄幹とともに浪漫主義の全盛を築き上げました。

坂田三吉(さかた さんきち)

堺生まれの天才棋士。若くして「堺の三吉」の名を棋界に轟かせました。
関根金次郎との名勝負は有名です。大正5年(1916)に関西名人位になりました。

千利休

千利休は大永2年(1522)堺今市町(宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男、与四郎として生まれました。
17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鴎に師事し、わび茶を大成させました。
屋敷跡には椿の井戸があります。

堺散策コース 堺の観光地

百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)

全長(墳丘)486m、幅(前方部)305m、総面積およそ464,000u、日本最大の前方後円墳で、世界でもピラミッドと秦始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓と言われ、5世紀に建造されたと考えられています。
別名を百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)とも言い、中に入ることはできませんが、正面の参拝所からその神秘的な雰囲気を感じることができます。

堺刃物の歴史 堺包丁の歴史
堺市には、仁徳天皇陵があります。
むかしむかし、この仁徳天皇陵の土木工事の道具を作るために各地から職人があつまりました。
段々数が増えて行き、いつしか堺は職人の町となっていきました。

伝来そして江戸時代、ポルトガルからタバコが伝わります。
堺の職人は、そのタバコの葉を刻む「タバコ包丁」を造りました。
時の江戸幕府は、その包丁の切れ味の良さに驚き、包丁に「堺極」の印を入れ、タバコの葉ではなく包丁を幕府の専売品としました。
16世紀にポルトガルよりタバコが伝わり、国内でタバコの葉が栽培されるようになると、タバコの葉を刻む「タバコ包丁」が大量に必要となり、堺で初めて、タバコ包丁がつくられるようになりました。
この堺製のタバコ包丁は、輸入品のタバコ包丁より優れていたため、江戸時代には、幕府がこれを専売品として「堺極」という極印を入れて、全国に販売しました。

昭和57年(1982)3月には、昔からの優れた伝統技術を受け継ぐ「堺打刃物」が、通商産業大臣より「伝統的工芸品」に指定されており、特に職人用の包丁のほとんどが堺製といわれております。
伝統的な分業制
包丁の製造工程 堺の包丁作りは伝統的な分業制で成立している。
まず鍛冶屋のイメージそのものである「鍛造」、刃をつける「研ぎ」、そして「柄付け」である。
設備の違いに加え、技術も専門化することによって高度な品質を保てる。
そうしたことから、鍛冶屋、研ぎ屋、柄付け屋に分業していった。



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