お問い合わせ

包丁の歴史

rekishi

包丁の歴史「今使っている包丁って、一体いつごろにできたんだろう」「どれくらい昔から伝わっているんだろう」料理をしていている時などに、ふとこんなことを考えたことはありませんか?

人間が地球上で最も繁栄してこれたのは、道具を使うことができたから、そして言語によって知識を集めたり伝えたりすることができたからだとされています。

現代の人間社会に欠かすことのできない料理、その料理を一番支えている包丁の歴史について、順番に触れていきましょう。

目次

  1. 道具の始まり
  2. 堺に鉄の技術が伝わる
  3. 堺の刃物が伝統工芸品に、そして堺ブランドへ

 

道具の始まり

包丁の最も原始的な形とはなんでしょうか。それは、尖った石でした。原始時代、まだ金属を使う術を持たなかった人間は、自分たちで固い石を割ったり、割れてる石の中から尖ったものをより分けて、それを料理や生活のために使い始めました。
 
包丁は今でこそ金属を使っていますが、一番最初のルーツまでさかのぼると、こんなに単純なものに行き着くのです。ここから時代は一気に飛びます。

堺に鉄の技術が伝わる

5世紀ごろ、俗に古墳時代と呼ばれる頃、堺の周辺ではたくさんの古墳が作られています。世界で最も大きい古墳、仁徳天皇の古墳があるのも堺です。この古墳づくりを進めるために鉄の技術が必要になったことから、堺には鉄を扱う技術が入ってきました。
 
上質な鉄を作るためのたたら製鉄も、この時代に日本にやってきています。この時期が、日本の製鉄技術の始まりという訳です。
 

南蛮貿易と堺

包丁の歴史
堺にもう一つ大きな転機が訪れました。南蛮貿易です。ポルトガルから銃という当時最先端の技術が入ってきた訳ですが、その技術を堺の商人がうまい具合に利用して、商売を繁盛させたのです。古墳時代から伝えられてきた鉄の技術、そして平安後期の武器需要を捉えて日本刀を作り続けた優れた製鉄の技術がある堺だからこその成功です。
 
それに伴って武器である刀の需要も増え、人と物、金と情報が集まる堺は日本最大の貿易港として一気に栄えました。
 
南蛮貿易は日本にたくさんのものをもたらしました。タバコもその一つで、南蛮貿易によって輸入してきたタバコの葉は、当然ながら今現在のように20本入りでパッケージングされて販売されていません。当時のタバコと言えば煙管で、煙管でタバコを吸うには、ものすごく細かくタバコの葉を刻む必要があったのです。
 
そこで、堺の周辺では職人たちが持ち前の製鉄技術と刃物の技術を使って、タバコの葉を刻むための包丁を作り始めました。あまりにも切れ味が良く、鋭く、良い刃物だったため、堺は世の権力者からも注目を浴びるほど有名な場所でした。
 
ここから日本の時代は移り変わります。安土桃山時代にはあらゆる文化が成熟していき、それに伴って包丁もより高品質に、高度になっていくのです。
そして、戦争が少ない時代がやってきます。
 

江戸時代と堺ブランド

江戸時代になると、戦国の世ほど大規模な争いはなくなります。戦いがないということは、武器である日本刀も売れなくなるということです。そこで、堺の職人たちは日本刀を作る技術を使って本格的に包丁を作り始めました。
 
元々の高い技術から、堺の刃物は評価が高く、なんと当時の江戸幕府、徳川幕府から「堺極」という角印をつけられ、他の地域の包丁とは違うと専売されるほどになりました。
 
堺という町が包丁の一流ブランドとして評価されたのは、ここが最初なのです。また、今現在日本で使われている数々の和包丁というのは、江戸時代に完成しています。
 
中でも出刃包丁などは堺で初めて開発されたとされており、その優れた技術力とこだわりは当時日本でもトップクラスだったことが分かります。
 
こうして、堺ブランドの原型と現在の和包丁が出揃いました。

明治の文明開化と包丁

ここからは堺から少し離れます。江戸時代の終わり、明治の文明開化は日本に大きな衝撃を与えました。まげを結って羽織袴や着物で歩いていた人たちが、洋服を着てまげをやめ、生活を始めたのです。
 
日本に飛び込んできた西洋の文化はとてもたくさんあり、それは今の日本とも通じるところがあるのですが、包丁にも西洋文化を受けた変化が生まれます。

ずばり、洋包丁と洋風料理の輸入です。<?h3>

西洋の料理というのは、それまで野菜と魚が中心だった日本とは全く別のものでした。もちろん味付けだって違います。包丁の扱い方も、引いて切るという和包丁の理念とも違いがあります。
 
いろんな食材とその調理法が入ってきたことから、肉を切るのに向いている西洋の牛刀を、洋包丁と呼ぶようになります。
 
また、この時期に海外の優れた製鉄の技術なども入ってきます。
 

戦後と三徳包丁

どんどん洋風文化が浸透していく日本にも大きな転機が訪れます。戦争です。戦争については触れませんが、戦後、日本の包丁にも大きな変化が生まれました。
 

包丁の歴史三徳包丁
の誕生です。それまでの日本の一般家庭では肉をひんぱんに使わなかったため、野菜を使う菜切包丁とたまに魚や固い野菜を切るための出刃包丁が一本あるくらいのものでした。しかし、重たい出刃包丁や刃が直線になっている菜切包丁では肉を上手に切ることができません。
 
では西洋の牛刀を使うかと言うと、長い間引き切り包丁を使っていた日本人にとって、体重をかけて使う押し切りタイプの包丁は扱いにくいという問題がありました。
 
そんな中で生まれたのが、肉を切るため、牛刀のようなカーブを持つ切っ先と、日本人の手に馴染んだ菜切包丁ゆかりの直線的な刃を組み合わせたような見た目の三徳包丁だったのです。
 
一般家庭の人にとって、肉は牛刀、野菜は薄刃、魚は出刃と刺し身というふうに毎回持ち替えるのが面倒だったこともあり、一本あれば大体の料理に対応することができる三徳包丁が流行ったのです。
 
そのおかげで、日本で包丁というと菜切包丁や牛刀ではなく、三徳包丁が一番一般的な刃物になりますよね。
 

堺の刃物が伝統工芸品に、そして堺ブランドへ

そうこうしている間に時代は過ぎます。しかし、歴史的な背景から堺ではずっと問屋中心の商売をしていました。そのため堺は良い包丁を作る町でありながら無名だったのです。
 
そんな状況の中、1982年に堺打刃物は後世に残すべき優れたものだとして、伝統工芸品の認定を受けます。ただ、それでもまだ堺の刃物は知る人ぞ知る、という程度の知名度で、どんなに良い刃物を作っていても、それが堺のものだとはなかなか気づかれない状況にありました。
 
これはいかんと地域の人たちが思い立ち、2007年についに「堺打刃物」「堺刃物」という地域団体商標を取ったのです。堺の人々の努力の甲斐もあって、今では堺の包丁と言えば最高級包丁として広く知られています。
 
これが、数百年の歴史を持つ堺打刃物の包丁の歴史なのです。